長崎地方裁判所 平成4年(わ)198号 判決 1993年3月26日
主文
被告人Aを禁錮二年六月に、同Bを禁錮二年に処する。
被告人両名に対し、この裁判確定の日から三年間それぞれその刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人Aは、長崎県島原市弁天町二丁目七三八五番地一所在島原鉄道株式会社に鉄道運転士として、被告人Bは、同会社に鉄道車掌として、それぞれ勤務し、同会社が同県諌早市と同県南高来郡加津佐町との間で旅客運送用に運行している旅客内燃動車(ディーゼルカー)の運転及び車掌の業務に従事していた者であるが、被告人両名は、平成四年一一月三日午後七時二六分ころ、加津佐駅発諌早駅行上り列車第一二六号を運行させて、同郡吾妻町牛口名二八〇番地三所在島原鉄道吾妻駅に到着した際、被告人Aは右列車の運転士として、被告人Bは右列車の車掌として、同駅を出発するに当たつては、信号を確認し、それに従つて車両を出発させるのはもとより、同路線は全線単線であり、運行予定上同駅で諌早駅発加津佐駅行下り列車第一二九号と行き違うことになつていたのであるから、右行き違い駅を確認し、下り列車の到着を待つて出発すべき業務上の注意義務があつたのに、被告人両名は、いずれも右吾妻駅の出発信号が赤色の停止信号を現示していたのを確認せず、被告人Bは、右下り列車との行き違い場所が次々駅であると誤信して運転手の被告人Aに出発合図を出し、被告人Aは、吾妻駅で右下り列車と行き違うべきことを失念して、右車掌の被告人Bからの出発合図を軽信し、右被告人両名の過失により、同日午後七時二六分五〇秒ころ、漫然と乗客二八名を乗せた右上り列車第一二六号を発車させ、被告人Aが、乗務員二名及び乗客四五名を乗せて同一線路上を対向進行してきた右下り列車第一二九号に約一五二メートルに迫つて初めて気付き、急制動の措置を講じたが及ばず、同日午後七時二八分ころ、同町牛口名六二二番地四矢島清人方北方約五〇メートル付近の同鉄道線路上において、右両列車を正面衝突するに至らせ、よつて、右両列車の往来に危険を生じさせるとともに、右衝突により、別紙負傷者一覧表記載のとおり、乗務員及び乗客合計七二名に入院加療約七八日間ないし加療約二日間を要する傷害をそれぞれ負わせたものである。
(証拠の標目) 《略》
(法令の適用)
被告人両名の判示所為中業務上過失往来危険の点は、それぞれ刑法一二九条二項に、判示七二名に対する各業務上過失傷害の点は、それぞれ同法二一一条前段に該当するところ、以上はいずれも一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として刑及び犯情の最も重い別紙負傷者一覧表二記載のEに対する業務上過失傷害罪の刑で各処断することとし、所定刑中禁錮刑をそれぞれ選択し、その所定刑期の範囲内で被告人Aを禁錮二年六月に、同Bを禁錮二年に各処することとし、情状により被告人両名に対し同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間それぞれその刑の執行を猶予することとする。
(量刑の理由)
第一 本件事故の背景
本件被告人両名の刑を量定する前提として、本件事故の背景事情をみるに、前掲関係各証拠及び取調済みの関係各証拠を総合すると、島原鉄道株式会社の列車運行状況等は以下のとおりである。
一 島原鉄道株式会社の概要
島原鉄道株式会社は、明治四一年に鉄道事業等を目的として設立され、その後関連会社を合併するなどして、昭和一八年からは、長崎県諌早市と同県南高来郡加津佐町との間に営業キロ数七八・五キロメートルの鉄道(以下「島原鉄道」あるいは「島鉄」という。)による旅客運送を主として経営し、平成四年三月三一日現在、資本金五億円、従業員数四五八名、鉄道車両保有台数三一両で、その他のバス事業等も行つているが、近年は、雲仙普賢岳噴火による火砕流、土石流などによる鉄道線路の流失等が影響して大幅な減収を余儀なくされている。
二 島原鉄道の運行状況及び安全対策
島原鉄道は、諌早駅・加津佐駅間を結ぶ旅客鉄道であるが、全線がいわゆる単線であるために、何か所か行き違い可能な駅を設け、運行列車ごとに特定の駅を上り列車と下り列車の行き違い場所として予め指定して列車の運行ダイヤを編成している。
そして、毎日の列車運行の規制、調整については、島原駅構内所在の運転指令所において、信号を集中列車制御装置(CTC)に基づいて制御することによつて行われている。右集中列車制御装置(CTC)は、右運転指令所の指令長以下数名の職員によつて操作されているが、上り列車と下り列車の行き違いが確実に行われるように、行き違い可能な駅と駅との間の単線区間を一閉塞区間として、その区間には一方向の列車しか運行されないように信号が制御され、また、隣り合う二つの駅の上り列車と下り列車の出発信号がいずれも青信号を示すことが機能上あり得ないような仕組みとなつている。なお、列車の遅延等の原因で、行き違い場所を列車の運行ダイヤと異なる場所に変更する必要が生じた場合は、車掌が事前に指令所と連絡を取り、指令長の指示を受けて、所定の行き違い場所を変更する旨の書面を作成し、これを事後的に上司に提出して決裁を受けなければならないという手続になつており、車掌や運転士の判断だけで行き違い場所を変更することはできないような手続になつている。
また、個々の列車を現に運行する列車運転士や車掌については、それぞれ列車運行時刻表が手渡され、同時刻表には当該列車の運行時刻とともに行き違いが行われる駅が明示されており、行き違い場所の確認が常に励行されるべきこととされていた。
なお、島原鉄道株式会社においては、運転士に対しては、国家試験の受験前から試験合格後の見習い期間終了までの間、車掌に対しては、見習い期間中、それぞれ経験のある運転士、車掌を指導掛りとして安全教育が施されており、信号の確認は指差呼称して確実に行うことは当然のこと、島鉄が全線単線であることから必然的に行き違い場所があり、これについては列車時刻表で確認して間違いのないようにすべきことは基本中の基本として指導されている。
第二 本件事故状況等
次に、前掲関係各証拠及び取調済みの関係各証拠を総合すると、被告人両名の経歴等、本件当日の列車運行状況、本件事故状況及び被害状況は以下のとおりである。
一 被告人両名の経歴等
被告人Aは、平成二年三月県立甲野工業高校を卒業し、同年四月島原鉄道株式会社に入社して、運転士の指導掛りの指導の下、平成四年六月三日甲種内燃車(ディーゼルカー)の運転免許を取得し、同年七月一〇日同社から運転士の辞令を受け、間もなく島原鉄道の運転士として稼働していたものである。
被告人Bは、平成三年三月県立甲野工業高校を卒業し、同年四月島原鉄道株式会社に入社して、同年五月一日同社から車掌の辞令を受け、見習研修期間を経て、間もなく島原鉄道の車掌として稼働するに至つたものである。
二 本件事故車両の運行状況等
本件当日の被告人両名が乗務した上り列車第一二六号及び右列車と衝突した下り列車第一二九号の運行状況は以下のとおりであつた。
上り列車第一二六号は、加津佐駅発午後五時三三分(南島原駅発午後六時四三分)諌早駅着午後七時四八分二〇秒で運行が予定され、被告人両名は、南島原駅で引継ぎを受け同列車に乗務したが、同列車が南島原駅に到着した段階で既に二分程の遅れが出ており、南島原駅で乗務した被告人両名も定刻より二分遅れて同駅を午後六時四五分に出発した。その後同列車は、大三東駅で下り列車との行き違えをし、徐々に右遅れを取戻し、定刻通りの午後七時二六分吾妻駅に到着した。
他方、下り列車第一二九号は、加津佐駅行諌早駅発午後七時〇五分で運行が予定されており、諌早駅で運転士C、車掌Dが乗務し定刻通り発車した。その後、同列車は、愛野駅を定刻より約一分三〇秒遅れて午後七時二一分四〇秒ころ出発し、次いで、午後七時二五分ころ、次駅の阿母崎駅を約一分三〇秒遅れて出発して、吾妻駅に向かつた。
ところで、右吾妻駅及び愛野駅は行き違い可能の駅であるが、中間の阿母崎駅は行き違いができないいわば停留所であり、右吾妻駅愛野駅間は前記一閉塞区間であつて、右上り列車第一二六号と下り列車第一二九号は吾妻駅で行き違いをする予定になつており、上り列車第一二六号と下り列車第一二九号は吾妻駅で双方の列車の到着を確認して出発すべき運行予定となつていた。そして、右上り列車第一二六号が吾妻駅に到着した時刻ころは、特段行き違い場所の変更がなされていない以上、下り列車第一二九号が愛野駅を出発して右閉塞区間に進入していることから、吾妻駅での上り出発信号は赤色を示し、同駅下り進入信号は青色を示していたものである。
三 本件事故状況
右のように定刻に吾妻駅に到着した上り列車第一二六号は、午後七時二六分四〇秒に同駅に到着する予定の右下り列車第一二九号が遅延していたが、行き違い場所の変更がなされていない以上、当然出発信号が青色を示すことはないはずであり、右出発信号を確認するのはもとより、右下り列車が吾妻駅に到着するのを待ち、これを確認した上で、同駅を出発すべき状況であつた。
ところが、被告人Aは、右吾妻駅において、ようやく同駅までで遅れを取戻したことから、終着の諌早駅で九州旅客鉄道との接続に遅れないように発車することにのみ気を奪われて、判示のとおり、吾着駅が下り列車との行き違い場所となつていることを全く失念し、かつ、出発信号機が赤色を現示していたのにこれを見過ごし、被告人Bも、終着の諌早駅での九州旅客鉄道との接続に遅れないように発車することのみが頭にあり、判示のとおり、行き違い場所が吾妻駅より二駅諌早寄りの愛野駅であると誤信し、同人も出発信号機が赤色を現示していたのにこれを見過ごし、被告人Aに対し、漫然と出発合図を出し、被告人Aは、右出発合図に促されて、定刻の午後七時二六分五〇秒同駅から同列車を発車させた。
そして、右上り列車第一二六号は吾妻駅を出発し、下り列車第一二九号は隣駅の阿母崎駅を既に出発し吾妻駅に向かつて進行しており、両列車は対向して接近したが、被告人Aは、吾妻駅が行き違い場所であることを全く失念していたため、前方から近づいて来る下り列車第一二九号の前照灯をみとめながらも、これを走行中の大型トラックの前照灯と誤認して、判示のとおり、下り列車第一二九号との間隔が約一五二メートルに迫つてはじめてその前照灯の光が同列車のものであることに気付き、慌てて非常制動の措置を講じ、下り列車第一二九号の運転士も、上り列車に気付いて急制動の措置をとつたが、間に合わず、両列車は正面衝突するに至つたものである。
四 本件被害状況
本件事故当時、上り列車第一二六号には乗客二八名、下り列車第一二九号には乗客四五名がそれぞれ乗車していたが、右衝突事故により、上り列車の乗客二六名、下り列車の乗客四四名及び乗務員二名、合計七二名が負傷し、被告人Aも受傷した。また、両列車は大破し、本件事故によつて、島原鉄道が復旧し平常ダイヤに回復するまでの間、上り下り合わせて一四〇本もの列車が運休を余儀なくされた。
第三 量刑の事情
一 右にみたとおり、島原鉄道は、全線単線であり必然的に上り列車と下り列車の行き違い場所を設けなければ運行は不可能であり、右行き違い場所の設定は単線鉄道のいわば宿命でもある。もとより、鉄道運行に従事する者として信号に従うべきことは正にいうまでもないことであり、単線鉄道である島原鉄道の運行に従事するものとしては、右行き違い場所の確認の励行も列車の安全運行の基本となるものというべきである。しかるに、本件において、上り列車第一二六号と下り列車第一二九号とは吾妻駅で行き違いを行うべく運行ダイヤが組まれていたのであるから、右両列車は右吾妻駅で双方の到着を確認した上で発車すべきであり、また、列車の発車に際して出発信号を確認すべきことは当然の措置であり、右行き違いを確認すべき義務や出発信号を確認すべき義務は、列車の運行に従事する運転士及び車掌としては、極めて基本的かつ初歩的な注意義務であるといわざるを得ない。被告人Aは運転士として、被告人Bは車掌として、右基本的かつ初歩的な注意義務を怠つたもので、鉄道関係者でなくても正に考え難い不注意あるいは単純ミスとしか評し得ないのである。すなわち、被告人らは、列車運行の遅延のみに気を取られ、自己らの乗務している列車が行き違いを予定している駅を失念ないしは誤つて認識し、かつ、出発信号を両名とも確認しないまま列車を発車させたというのであるが、列車に乗務するに当たつては、当該列車の行き違い場所は常に確認しておくべきであり、列車運行時刻表には行き違い駅が明示されており、これを常に携帯し傍らにおいて乗務しているのであるから、容易に行き違い駅の確認はできたはずであるのに、被告人両名ともこれを怠り、また、信号の確認についても、指差確認等の基本動作が定められており、本件においても被告人らのうち一方でもこれを忠実に実行しておれば本件のような事故は生じなかつたはずで、被告人両名がいずれもこのような基本動作を励行しなかつたことは極めて遺憾というほかはなく、被告人両名には乗客の安全をあずかる列車運転士、車掌としての自覚に欠けていたと非難されてもやむを得ないところである。
そして、本件事故は、単線を対向して走行した列車同士が正面衝突し、両列車とも大破したというもので、これだけの事故で直接の死亡者が出なかつたことは誠に不幸中の幸いといわざるを得ないが、負傷者は合計七二名の多数に及び、かなりの重傷者も含まれており、本件の結果も重大といわなければならない。また、本件事故によつて、列車が数日間運休となり、通勤や通学に利用していた地域住民その他利用者に多大の迷惑を及ぼしただけでなく、島原鉄道株式会社は復旧作業等に多大の財産的負担を強いられたばかりか、一般乗客の信頼を著しく損なうなどの損害を受け、本件が島原鉄道を日常的な交通手段として利用していた地域住民やその他関係者に与えたいわゆる社会的影響も重大であるといわなければならない。
二 なお、弁護人は、島原鉄道株式会社の列車事故防止システムや列車乗務員に対する安全管理及び安全教育にも問題があり、本件列車事故について被告人両名に全ての責任を問えば足りるというものではないと主張する。なるほど、自動列車停止装置(ATS)が導入されていないこと、前記列車集中制御装置(CTC)も緊急時における運行各列車への連絡手段等が迅速確実なものとして確保されていなければ安全面では充分に機能しないものであることなど人為的ミスによる事故の防止システムが充分でなく、列車運行時刻表の記載内容、行き違い駅が各列車によつて異なること、運行ダイヤに時間的余裕のないことなど人為的ミスを招来する要因があつたのではないか、列車乗務員の構成、乗務員に対する安全教育や行き違い駅の確認、基本動作の励行の徹底などの在り方に不充分なところはなかつたのか等、本件のような事故を防止できなかつた要因のあつたことは弁護人の指摘するとおりである。とりわけ、本件事故当時に自動列車停止装置(ATS)が導入されていたならば、本件のような単純な人為的ミスによつて大事故は生じなかつたであろうと考えられ、公共輸送機関において要求される高度の安全性の見地から、単純な人為的ミスが重大な結果に結び付かないように機械的にチェックし、自動的に防止措置が働くような機構や装置が不可欠であることを示しているものといえよう。
(ちなみに、島原鉄道株式会社においては、本件事故を契機に安全管理面において改善ないし見直しをし、その対策も検討され、さらに、自動列車停止装置(ATS)の導入も決定するに至つている。)
しかしながら、弁護人の右事故防止態勢の指摘は本件情状面において検討に値するところではあるが、一般に列車運行においては、多かれ少なかれ運転士や車掌の注意力に依存して運行せざるを得ないことはやむを得ないところであり、それが困難かつ過酷であるなら格別、本件で運転士や車掌に要求される注意義務は前記のとおり最も初歩的かつ基本的な注意義務であるところ、被告人両名はこれを懈怠したものであり、右弁護人の指摘ないし主張を考慮しても、なお被告人両名の本件刑事責任は厳しく追及されなければならないものと思料される。
三 なお、島原鉄道株式会社は、本件事故直後から、負傷者の病院の手配や見舞い等に当たり、現在も、治療中の被害者を定期的に訪れ、その病状等の確認を行い、被害者との示談についても、誠意をもつて対応し、平成五年二月二六日時点で被害者二九名(受傷しなかつた乗客一名を含む。)と既に示談が成立し、その他の被害者に対しても誠意ある対応をとつて治療の目処のついた段階で示談が成立する見込みであることが窺われる。また、島原鉄道株式会社は、「鉄道事故賠償責任団体保険」に加入しており、その補償能力には特段問題がないものと見受けられる。
第四 結論
以上みてきたとおり、本件事故は、被告人両名が列車運行に関する極めて基本的かつ初歩的な注意義務を怠つた結果発生したものであることは明らかであり、運転士や車掌として列車運行の安全に関する自覚が欠如していたことなど厳しく非難されて然るべきであつて、また、本件結果の重大性等に鑑みると、被告人両名の本件刑事責任は極めて重大であるといわざるを得ない。
他方、被告人両名は、本件事故直後から、その原因が自らの不注意、落ち度である旨素直に認め、その責任を痛感している様子や反省の情も顕著に認められる。また、被告人両名は、いずれも弱冠二〇代前半の将来のある若者であり、他に事故歴はもとより前科もない。そして、会社において、前記のとおり、被害者に対する補償も進められ、本件を教訓として事故防止システム等改善の兆しも見受けられる。
以上の諸事情を総合勘案したところ、被告人両名の本件刑事責任は重大であるけれども、右被告人それぞれに有利に斟酌すべき事情、さらに会社側の被害者らに対する対応や事故再発防止の努力等をも考慮し、また、被告人両名らが、会社から謹慎処分を受けた後、自らの責任を痛感して退職を願い出ていることも考え併せると、被告人両名の今後の再起に期待しつつ、今回は、それぞれその刑の執行を猶予するのを相当と思料して量刑した次第である。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 照屋常信 裁判官 坂主 勉 裁判官 森 浩史)